人気ブログランキング |
<< 2011年5月23日(月) タ... 2011年5月21日(土) 文... >>
番外編:【チョイさんという男】 ~ラグマガ風に~
c0208935_1564173.jpg



私は、チョイさんを知っていた。初めて練習で会った時、直感的に思う。「あん時の左ウィング?」生来、一度見た人の顔を忘れられない性質(たち)。
1990年4月12日(水)・・・だったと思う。当時、県内唯一のラグビースクールに所属し、ラグビーの虜となっていた小学6年生の私は、その日母親に強く行くよう言われていた”そろばん”教室をサボり、テレビの前にくぎ付けとなっていた。'91W杯のアジア太平洋予選を戦う宿沢JAPANは、日曜日の試合でトンガに完勝(スクラムトライ有り)し、この日韓国に勝てば、W杯出場が決まる大一番を迎えていた。当時の韓国は、尚武(軍隊)、韓国電力、延世大、高麗大といった限られた強豪チームでしのぎを削り、その中から代表選手を選ぶといった少数精鋭主義が功を奏し、名実ともにアジアの王者に君臨していた。前年にスコットランドを破り、日本ラグビー史上、最も世界に肉迫したといわれる宿沢JAPANとて、彼らは決して低い壁ではなかったのである。事実、この予選後に同年タイで開かれたアジア大会で、日本は、再び韓国に敗れている。

この試合、日本は序盤で韓国にリードを許すも、後半に大逆転をおさめる名勝負となるのだが、問題のプレーは、後半早々だったように記憶している。
チョイさんといえば、タックルの際、パック(両手で相手を包む)をせず人間魚雷のように相手に突撃したり、カットインで相手の裏に出た後、パスもせず、敵陣インゴールに元気良くキックを蹴りこんでみたりと、そのプレーぶりは横にいる私の笑いのツボをいつも突いてくる(「うそ~ん?」とチョイチョイ言ってしまう。)のだが、20年前のそれもまた自由で腕白であった。
日本陣22m付近で左オープンに転がったボールを拾った弱冠20歳の韓国左ウィングは、何を思ったか、ゴールラインに平行してブラインド(この場合、右)サイドに一目散に走り出す。これだけは言える。滅茶滅茶速い。その道すがら、主将平尾誠二、当時の私のヒーロー朽木英次(トヨタ)のタックルをあっさり振り切る。断っておくが、この時点で彼は、1mmもゲインしていない。なぜって?ただテケテケ横に走っただけだから。そう、このとれとれピチピチの左ウィングこそ、誰あろう、若き日のチョイさんである。
しかし、このあと、さすが本職はセンター(榊さんリサーチ)、ブラインドサイドに回り込み、韓国右ウィングに張り付く日本左ウィング吉田義人をパスダミーでやり過ごし、あれよあれよと一気にゴールラインに迫る。そしてダ~イブ!!「行ったか?!」誰もがそう思ったその刹那、褐色の弾丸がチョイさんを襲う。”ゴチーン!!”弾丸もろともチョイさんは、タッチラインの外へ。からくも日本は、難を逃れたのだ。
飛び込んだのは、トンガ人ナンバー8、シナリ・ラトゥ(瀬戸ゥじゃないよ)。日本には、皮肉にも”そろばん”を学びにやってきた。
決してタックルはクリーンヒットではなかったが、両者とも額に裂傷を負い流血。傷がヒドかったチョイさんは、まだやりたそうだったが、ドクターストップか担架で運ばれて行ってしまった。その後、バンソウコウを張り、ぶ然とした表情で戦況を見つめるチョイさんをカメラがとらえていて、「この人、悔しいんだろうな。」と子供心に何となく印象に残っていたのだ。
しかしながら、20年の時を経た今、まさか同じチームの真横でプレーし、何度となくパスを通す間柄になろうとは・・・。そしてそのボールは、時にスクラムハーフ”しゅっく”(宿沢監督ご次男)から繋がるものとなろうとは・・・・。そしてその当時の試合を梅原さんが秩父宮に足を運んで観戦されていたとは・・・・。NYAJは、こういう出会いがあるから楽しいし、本当に有難いことだと思う。これからも幾多のヘンテコな出会いが繰り広げられことだろうし、そう願ってやまないのである。そして、もうちょっと皆さん、チョイさんを尊敬してあげて下さい。ピーターもお忘れなく。
ちなみに私がチョイさんにその事実確認を行った際の会話は以下の通りである。

はだ: ”1990 in Japan, Tongan (トンガの)No. 8、ガチーン(手でジェスチャー)、パッチギ (韓国語で頭突き) you、right(でしょ?)”
チョイさん: ”イェ~イェ~イェ~!!! You know??”(嬉しそうにニカっと笑って)

二人とも、もっと勉強せえ!!

【波田◆散々語るも、高校時代、帰宅部】
by nyajrfc | 2011-05-27 02:00 | その他
<< 2011年5月23日(月) タ... 2011年5月21日(土) 文... >>